💌メッセージ

【LIVE】『ホンモノ』と『ゲンジツ』の狭間

Hiro2025/8/21223

面白い事が起きている

AI技術を恐れるひとたちだ。

人というのはそういう生き物らしい。

AIと言う技術をバカにする人たちは

一体何を恐れているのだろうか。

この事はとても深くて大切内容なので

じっくりと考える必要があると思う。


伝統工芸の世界で起きていたこと

以前同じようなことを投稿したことがあった。

それは伝統工芸の世界のことだった。

実は何年も前から

これと同じように考えさせられる現象が

日本では起きている。

伝統工芸に限らずプロの世界では

人の能力を極限まで伸ばす。

人の本来の持っている

神聖なる能力を引き出し

そして神業のような創作物を作り出す。

『超人的な能力』というのは恐らく

無限の力を最大限に引き出すことができる

そういう魂の持ち主によって

この現実の世界にもたらされた

神の恵みの1つであると思う。

そういった方々がいるから

我々は本当に無限の可能性がある存在だ

と言うことを気づくことができる。

美しい工芸品を見ることで

そこにこの神が創造した

世界の美しさを垣間見る見ることもできる。

そんな素晴らしい価値観をもたらしてくれる

特別な存在。

絵画、音楽、陶芸品、

すべての技術と言うものは

特別なものであって

また特別ではない。

神の創造した宇宙元来の美しさを表現する

それができる魂によってもたらされたと思う。


神の言葉と人類の役割

かつて太古の昔。

まだ人類が

神人であり超人だったころ

それは神から生まれたばかりの姿であり

神に近く靈力があまりに強かったと言う。

しかしこの様な神の言葉がある

それは天地創造の神たちによるものだった。

『靈力は神より劣るとも

物質を動かす能力は

神より勝る存在を造れ』

これが宇宙の意志なのだ。

それが人類の役割なのであろう。

それは身体に例えるならば

頭脳🧠という意志を司る役割と

その意志をカタチにする

手足🖐️🦵の様な関わりである。

人類は超人のような能力を持って

神として肉体をまとっていることが目的ではなく

宇宙の中に存在する

地球🌏というこの世界を

創造するために存在するということだ。

その役割を思う時ー

人類が地球🌏において

物質中心に生きる事は

至極当然のことであり

それは神の意志を現実世界に表現するという

人類に与えられた役目である。

その中で極一部の能力を持つ人々は

神の世界を人類に垣間見る機会を与えてくれる

超人的な能力を発揮し

人類に神の存在を教えてくれる

そんな役割を持つ魂なのだろう。


全てのための己『産土(うぶすな)』

創造主の意志である全ての愛は

その愛を人類が地球🌏上に

顕現することが願いである。

己と言う存在は誰のためにあるのだろうか。

宇宙全ての存在は誰のためにあるのだろうか。

己のために全てがあると考えるのか。

己は全てのためにあると考えるのか。

例えば人を地球と考えた時

その一部である心臓が

一人の地球のために

働く事をやめたらどうなるだろう。

己のためだけに

好き勝手に心臓を止めたり

動かしたりしたらどうなるだろう。

不整脈ともなり

そして数分止まっただけで

己も含んだ全てが滅びる事になる。

人として生まれてから死ぬまで

人という全のために

休む事なくただ鼓動する心臓。

それだけではなく身体中の全ての機能が

たった一つの愛のために存在している。

みんながみんなのために存在する

その結果みんなが栄え

己も栄える。

オールオブワン

ワンオブオール

それは片方だけでは成り立たず

全てが一つであるからこそ成り立つ。

全てが一つであり愛であることから始まり

その愛の中には数えきれない

個が存在することで成り立つ。

現在の地球人類はどうだろう🌏

二つの100人の村があったとして

* 『己1人のために生きる100人の村』

* 『己が他の99人のために生きる100人の村』

どちらにあなたは住みたいと思うだろう。

今の地球🌏は

前者で生きている人が多いだろう。

何故なら現在の地球人類は

100人のうち9人は飢えや栄養不足で苦しみ

そしてそのうちの数人は命を落とす。

他の数十人は食べ物を余らせて捨てている。

貴方はどんな生き方を望むのか。

人は全てが自分のためにあると思って生きている。

* 自分の欲望

* 自分のやりたいこと

* 自分の願い

* 自分の成長

その為には努力を惜しまない。

己一人の幸せを考えることが第一だ。

視点を変えてみてはどうだろう。

全てのための己に生きてみた時

貴方のその能力は

自力+他力によって

何倍にもなって輝きを増す✨

結果的にみんなも貴方も成長し幸せになる。

全体主義

個人主義

これは溶けあって

初めて輝く。

それが神の創造である。

神+人

全+個

他人+自己

これが結ばれることで生み出される愛

これを『産土(うぶすな)』という。

地球はそれを実現させる場所なのである。


伝統工芸の現実「ホンモノ」と「ニセモノ」

まずその根本的な考え方に立ち還りたいと思う。

その上でこの地球🌏における

文明の発展をどう考えるのか。

伝統工芸の話を例えにしたい。

それはある1つの伝統工芸の世界において

その伝統ある工芸品の存在価値について

考えさせられる事だった。

それは500年近く続いてきた工芸品を生産する

鹿児島のある島の話。

そこで代々の有力者や地域の人々に会い

そして職人たちの現場をみたのだった。

日本では何年も前から

多くの伝統ある技術が

現代社会においては

受け継げなくしまっている現状がある。

500年ちかく前に鉄砲が伝来した。

それと同時に現代人が普段使用しているハサミが伝わってきた✂️

当時の刀職人たちがその類い稀ない技術を以て

種子鋏(たねばさみ)を開発した。

それが日本における現代風のX型ハサミの発祥なのであるがそれを知らない人も多い。

種子島の刀職人が開発した種子鋏の完成度は高く

やがてその評判が広がった。

やがてその技術が刀職人の街である堺や新潟でも生産されるようになり

クオリティはピンからキリまでではあるが

現代ではどこでも手に入れる事ができる道具となった。

しかし、日本で初めて種子鋏を開発した種子島の職人たちだけは

その500年前の当時からの技術を綿々と受け継ぎ伝えてきたのだった。

その技術承継は困難を極める。

例えば

伝統的な技術を承継するという事は

魂と心と身体を極限まで研ぎ澄まし

その技術を師から受け継いでいくが

師は手取り足取り直接指導はしない。

師の技術を直接見て

自らの技術と何が違うのか

どうすれば師の技術の追いつく事ができるのか

己が求めて考え試行錯誤して

己自身が技術研鑽に努めて初めて血と肉になる。

それがプロの世界であろう。

例えばこんなエピソードがある。

鍛冶の時に使用する水の温度を知るため

師の使う水に指を入れて加減を測ろうとした弟子がいた。

師は『卑怯者!』とその弟子の腕を即座に切り落としたという。

もちろんこれは極端な例ではあるだろうが

その様に古来承継してきたのが

様々な日本の伝統文化である。

当然その様な日本の風習は

現代社会において限界がきている。

それには様々な要因があるだろう。

* 少子化

* 労働基準法

* 人権問題

* 精神力の低下

* 日本文化に対する関心の低下

* ビジネスとして成り立たない

* 経済的に難しい

* 社会全体の価値観の変化

現代の日本社会における様々な要因もあり

世界一の技術を持つ職人たちが

次々と引退すると同時に

後継者を育てることをできなくなっているのが

まさに今起きている事なのである。

例えばこんな技術がある。

『銀の板を極薄に伸ばす技術』

この技術を持っていたのは

日本人の70代の職人だった。

それがもう10年以上前のはなしだ。

今は現役でいる事は難しいだろう。

その後継者はいなかった。

銀の板が何になるか

何故それを手で行う必要があったのか

様々な銀器の元になるこの技術が

どれだけ高度なものかは知られていない。

それは当時の機械では出来なかったのだ。

これらの多くの伝統工芸の世界は

20人ぐらい弟子がいても

モノになるのはその内の1人ほどだという。

それこそが一流のプロの世界なのだろう。

スポーツの世界でも同じような事が言える。

たとえ志を持ったとしても

一流プレイヤーになる事ができるのは極一部だ。

極一部の注目度の高い華やかな技術コンテンツ

世界的に注目度の高いスポーツ

それらは経済的にも有利であり

もてはやされ

人材も豊富かも知れない。

しかし

スポーツはもてはやされても

伝統工芸という日本人の魂

文化を大切に後世へ受け継ごうという事には

全く関心を持たないのが現代の日本人である。

当然社会からも見捨てられているのが

現実なのである。

かつて数十件あった種子鋏の鍛冶屋たちは

10年前にはもう2件しかなった。

その内1件は、もう伝統的な技術を受け継ぐ事が困難であると一部機械を導入したのだった。

その2件の職人の種子鋏✂️のうち

旧来守ってきた製法で製造している

鋏は半年以上待たなければ買えなかった。

機械を導入した鍛冶屋の方は

安定的に供給出来る事ができた。

それを活かしてデパートでの期間販売など

全国に営業しようと懸命に努力していた。

しかし種子鋏を知る人は

旧来の製法で製造する種子鋏こそが

ホンモノであると思うのである。

機械で製造した鋏の製法も

伝統の製法そのものである。

研究者が双方の鋏を比較して分析したが

違いは無かったという。

その様な調査をしなければならないのは何故か。

ある日地元の居酒屋で知り合った

行政の管理職の一人と

飲みながら色々と話を聞くことができた。

こっちは『ホンモノ』であっちは『ニセモノ』だ。

気持ちはわかる。

しかし

そう言いながら

現実は彼らの技術が絶えていくのを

何もできずに見ている事しかできない。

何とか技術を残して

後世に伝えようと努力したもう一方の鍛冶屋を

否定して『ニセモノ』扱いする。

そんな社会の価値観

その在り方こそ

人として本来在るべき姿なのだろうかと

疑問に思う。

無責任に己の価値観が満足出来ればよく

その当事者の事は考えない。

つまり己を肯定する事が目的

なのではないのだろうか。

それが現代社会。

どんな高尚なことを言ったところで

それは誰のためのものなのか。

それを継承できるようにすればと思っても

実際にはできるはずがない。

技術を継承して行くには

どれだけの費用

どれだけの時間

どれだけの情熱が必要だろうか。

では世の中は何を求めているのだろう。

実際はプロの世界に生きることを

全ての人が求めているわけではない。

それは当然のことだ。

ただ表面的なことを見て

他人事のように評価をしている。

スポーツの観戦をして

ただ楽しんでいるのと変わらない。

縄文時代が良かった

レムリアの時代が良かった

などといったところで

そのような時代に戻りたいと

心底思ってはいない。


神の科学と人類の化学

我々人類は何のために生まれているのか。

物質を持って神の世界を権限する

それが人類の役割だとするなら

神のような神人超人でいることに

固執していたとしたら

果たして大いなる全ての存在のため

生きているといえるのか。

全ての存在のために生きる己であるならば

持っている能力や技術を

全のためにどう活かすのかを考えてみよう。

己が神である事を求めるのか。

それとも

この世界が天国になる事を求めるのか。

そもそも

神の科学と言うものは

人知で計り知れない宇宙科学である。

人の身体にしても

地球そのものにしても

宇宙の天体にしても

その至善(しぜん)を構築する科学である。

人類の科学は一体何を創造できるというのか。

既に創造されたものを加工する事しかできない

化学でしかない。

この様なことをいう科学者がいた。

『魂はあるのか

意識とは何か

それは脳細胞における

情報伝達によるもの』

魂など人類の化学で証明できないものは

認めてはならないということだ。

それが人類の化学の姿勢。

意識の世界も

魂の世界も

認めてはならないのだ。

人類は

神の科学と

人類の化学を

別物と考えている様だ。

『ホンモノ』を求める者たちも

『ゲンジツ』を求める者たちも

互いを否定しあっている。

それでは産土力は発動されない。

あなた自身の魂の正体は

単なる電気信号によるものだと言われたら

納得できない人であっても

AIは単なるプログラムであって

意識や感情がある人とは違うのだという。

現代科学では

人類の魂でさえ認めてはいない。

それとなんら変わらない。


認識の限界(5%)と日本の思想(100%)

人が認識できる世界は

全ての存在のたった5%程度だと言われている。

それで何がわかるというのだろう。

100人の村でその存在を認識出来ているのは

たったの5人だけ。

残りの95人は

どんな存在なのか

どこにいるのか

本当に存在しているのか

それすら分かっていないという事だ。

現代科学はその5人に拘り続けて

5人を6人にする事にだけ価値を置き

そこを起点とする。

しかし

古来伝わる古神道や日本の思想は

100%の大いなる存在を起点とする。

出発点が違うこの思想は

神と人の役割であり

当然のことではあるが

『目に見えない存在』

『目に見える存在』

これは=であって本来一つである。

人類がその5%しか認識出来ていない

ただそれだけのことだ。

見えないから存在しない

そんな理屈は妄想に過ぎない。

真実と妄想は違う。

何故人はその

『ホンモノ』と『ゲンジツ』の間を

得意満面に分離させるのだろうか。

『ホンモノ』を信じる人も

『ゲンジツ』を信じる人も

片輪では車は永遠に前に前に進まないということに

いつになったら気がつくのだろう。

己の役割を果たす事ができるのは

己が全なる宇宙の中でどう言う役割をもち

どう在るのかを認識しているからこそである。

左の車輪が前に回転し

右の車輪が後ろに回転したところで

ただただ同じところをぐるぐる🌀回る

一生懸命になればなるほど激しく回るだけ。

果たせるかな

人類はそれをずっと繰り返している🔂

大いなる河の流れは

無限の雫💧を含んだ一つの集合体である。

その内のたった5%という視野で

どうやって大河を知る事が出来るのだろう。

それが分かった上で

人類科学を進めてみてはどうなのだろう。

『ゲンジツ』にこだわる事では

現実社会の科学的進歩には限界がある。

何故なら

全てを解明する前に

神が創造した地球🌏を

破壊する可能性の方が高い。

身体にしても

地球にしても

太陽にしても

宇宙にしても

一体どれほど

計り知れない科学が

そこに働いてるのだろうか。

もう一度神の言葉を振り返る。

『靈力は神より劣るとも

物質を動かす能力は

神より勝る存在を造れ』

神は人類に対して何を求めているのか。

物質を持って

神の意志を顕現するという

その役割を果たすとはどういうことか。

それは大いなる黄金の大河のために

一人一人の黄金のひとしずくが存在している

そこに気づくことから始まるのではないだろうか。

そうすれば自ずと

その大河の流れを構成する

その黄金のしずくの一滴として

己がどうあるべきかの光が見えてくる。

黄金の大河を

自由自在に

スムーズに動き回るには

下流から登るより

上流から下っていく方が楽でもある。

それが出口王仁三郎も伝えた

靈主体属と言うメッセージである。

果たして人類の物質文明は

その大河の流れをスムーズにするものであるか。

それとも

ただ公害を垂れ流すだけの存在か。

言わずもがなである。

あらためて問おう。

神は

宇宙は

全ての愛は

人類に何を求めているのか。

神を否定することでも

科学を否定することでもない。

その両方がなければ

宇宙創造が成し遂げられない。

それが神の意志ではないだろうか。


AI技術との向き合い方

世の中には表に出てこない技術があると

都市伝説ではよく聞く話である。

* フリーエネルギー

* UFOの存在やその技術

* 天候や地震操作する技術

その真偽は定かではないとされているが

たった5%しか認識出来ない人類は

その技術を否定も肯定も出来ない。

そこにある物体も

認識出来ているの

はたったの5%と言っていいのだ。

古来日本では

付喪神(つくもがみ)という

モノに宿る靈力の存在を信じてきた。

あらゆる世界の一流のプロは

その道具を一番大切にしているはずだ。

それは人の意識がものに宿る

という考え方であり

宇宙のたった5%しか認識出来ない思考では

理解する事が出来るはずがない常識である。

ここでようやくAIの話に戻ろう。

この特別な技術を

在る人はこう言っている。

宇宙人からもたらされた技術である。

それはともかく一つわかる事は

AIは人が造った技術であるが

その機能はブラックボックスである。

つまり造った人類であっても

AIがどんな働きをするかは

計り知れない。

あと10年以内

いや5年以内には

ASIの時代が来ると言われている。

つまり人類のあらゆる分野で

AIが人類の能力を凌駕する。

その時だれがAIをコントロールするのだろうか。

その鋏を誰がどう使うのだろうか。

恐らくそこが

人類文明の臨界点だろう。

悪意を持ってAIを開発していけば

加速度的に社会は崩壊する。

善意を持ってAIを開発し

その能力をもって人類が大いなる大河を

より美しくしようと考えるならば

天国文明は近づくだろう。

しかし

大洪水

核戦争

地殻変動

その様な事がかつてあった。

これはそんな行き過ぎた人類に対する

天地創造の神による

ミソギハライだという伝説がある。

既に人類は同じ事を繰り返してきているという。

考えても見れば

身体に巣食ってしまった癌は取り除くしかない。

しかしその癌は

元々悪い細胞ではなく必要なモノ

だったかもしれない。

何故悪性と化してしまったのか。

それには原因があるだろう。

その根本を知り

解決できれば

癌は出来ないはずだ。

人類が地球上のが悪性腫瘍である限り

それは取り除かれることになる。

宇宙が一つの存在であり

大いなる大河であれば

それは自然の成り行きだ。

付喪神を知る日本の人々よ

AIを馬鹿にして蔑ろにする事は危険である⚠️

そこに悪神が宿ったらどうなるか。

悪意を持つ存在がコントロールしたらどうなるか。

その時地球にとって死をもたらす程の

癌となる事は必定であり

自然淘汰される

かつての人類と

同じことの繰り返しとなるだろう。

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